多言語学習者の思い込み

 様々な言語を学ぶと、さぞかし視野が広がるのでは、と思いがちです。でも実際はそうではない。複数学んだからこそ、言語に関し、逆に妙な思い込みを背負い込んでいる場合もあります。特に日本語の立ち位置について。



 たとえば、「主語を省略する日本語は例外的」と思い込んでいる多言語学習者は多い。なぜかというと、英語は主語を省略しないからです。主語が特定できないときでさえ、無理やりItを主語に立てる。

 こういう誤認は、「外国語は苦手」という人には起こりえません。

 「英語は得意だけれど、他の外国語は学んだことがない」という人も、それほどではない。

 一番危ないのは、フランス語やドイツ語を学んだことがある場合です。このケースが一番、こういう思い込みを背負い込みがち。なぜなら、フランス語やドイツ語も主語を省略しないからです。また、「自分は複数言語を知っている」という自信があるからです。

 「3対1で、日本語の負け」という多数決を適用するのか、はたまた「これまで学んできた言語がそうだったから、きっとこれからもそうだろう」という一種の帰納法(?)なのか。とにかくそう思い込む。

 でも実際は、話者数において世界第一位に君臨する中国語からして、主語が省略できる。主語を省略して喋っている人のほうが、むしろ世界では多数派かもしれないわけです。


 ところがそう言うと、「でも少なくとも西洋言語では、一般に主語は省略しない」と食い下がられることがある。

 これも間違い。スペイン語も主語なんか、軽~く省略します。ま、活用がしっかりしていて省略してもわかるからではありますが。スペイン語を学んでいると、英語の「I」がすごーく耳障り。「うるせえ! いちいち『俺が、俺が』と主張するな!」と言いたくなる。スペイン語学習者のみなさん、そうじゃないですか?(笑)




 要は、「複数知っている」ことが、逆に強固な思い込みに繋がる場合もある、ということ。類似の言語を数多く知れば知るほど、また、その習得の度合いが高ければ高いほど、思い込みの度合いも強固になりがちで、数多くの言語を知ることで「視野が広がる」どころか、むしろ「偏見を深める」ケースも多いように思います。

 特に西洋言語は厄介。実際は似たり寄ったりでありながら、名前はいちいち異なる言語も多いので、数稼ぎに走ると瑣末な違いにばかり目が行き、物事をマクロ的に捉えることができなくなってしまう。




 でもじゃあ西洋言語に加え、東洋の言語も知っていれば偏った思い込みから自由でいられるかというと、これも違う。

 たとえば。複数の西洋言語に加え、中国語もできる、という人の中には、「語順はSVO(主語・述語・目的語)の順が一般的で、SOVの日本語は例外的」と思っている人がいます。

 自分は西洋言語のみならず、東洋の言語もバランスよく知っている。だから視野の広さには自信がある。そうした自信が逆にこうした誤解を生むのでしょう。

 でもこれも間違い。確かに西洋言語はSVOの語順が多いし、中国語もそうですが、インド・ヨーロッパ語族でさえ、ヒンディー語やウルドゥー語、ペルシャ語などは日本語同様SOV型だし、トルコ語もそう。

 さらに、「世界にはSOVとSVOの二種類しか語順がない」かというと、これも違う。メジャーどころでいえば、アラビア語はVSO型です。つまり、動詞を最初に言う。




 じゃあ西洋言語と中国語に加え、アラビア語も知っていれば、思い込みから自由になれるかというと、これも違う。

 確かにアラビア語はまず文字からして特殊だし、語順も特殊。動詞の活用なども、語尾を変えるなんてものじゃなく、一旦バラバラにして最初から組み立て直す感じ。一から新しい言語を学ぶとはこういうことか、と知るにはもってこい。

 様々なカルチャーショックが言語に織り込まれてもいるので、アラビア語を学ぶと、いかにも視野が広がったような達成感を感じます。

 でもその達成感があるからこそ、危うい。

 たとえば。アラビア語は圧倒的に日本語より西洋言語に近い。印欧語族でないにもかかわらず、2:8もしくは1:9くらいの割合で、西洋言語に近い感じがする。

 だからアラビア語を学んでいる間は、日本語がすごく孤立して感じられたものです。「日本語は特殊」、アラビア語を学ぶとそう感じられる。



 アラビア語のあと、インドネシア語を学び、今年トルコ語を始めたことで、その印象はなくなりました。特にトルコ語は、あんなに西洋に近いところに位置していながら、すごく日本語に近い。本当にこれが「偶然の一致」や「他人の空似」なのだろうかと思うほど、近い感じがする。

 だからトルコ語体験を経て、今は偏った思い込みからいよいよ自由になり、視野が広がったか、と期待するのですが・・・。



 でも実はそこが危うい。実際は、逆にまた新しい思い込みを背負いこんだかもしれず、今はそれに気づくことができないのだから。

 今後また別の言語を学び、違う視点に立ったとき初めて、そのことに気づくことになるでしょう。




 つまり、どこまで行っても思い込みはなくならないばかりか、むしろ新たな偏りを背負い込む可能性があるわけです。必ずしも公平にバランスよく、巨視的に視野広く物事が見られるようになるわけではない。

 ・・・というか、何が公平で、何がバランスか。どこがやじろべえの支点で、どういうのが広い視野なのか。数が増えれば増えるほど、どんどん分からなくなっていく。




 ただ唯一、様々な言語を学んでよかったと思うのは、かつて自分が様々な思い込み・勘違いを持っていたことに気づけたことです。

 過去の経験から、「今もきっと、なんらか偏った思いこみを持っているに違いない」と警戒することができる。

 それが唯一の収穫です。



画像
7月12日、鎌倉・光明寺にて。



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