英語コンプレックス
ハローの校長先生のブログに続々と寄せられている他の受験者の方の体験記を読み、結果に不安を感じています。
試験はとっくに終わってる。いまさら考えたって遅いのに。考えてもしょうがないことを考えるより、いまやるべきことをやったほうがいいのに。
でもついダラダラと無駄に考えてしまう。「笑顔を心がけました」などと書かれているのを読むと不安になる。自分は一体どんな表情で喋っていたんだろう、と。
通訳ガイドがお客さんに接するようなやわらかい表情で、ちゃんと試験官とやり取りしていただろうか? ・・・自信がありません。
今年の通訳案内士の試験は、いつもの検定試験の受験ととても違った感触でした。
それは、あがってしまったこと。
いつもだって試験となればそりゃ緊張はしますが、わたしは意外と本番に強く、割と普通にふるまえる。でも今回は一次も二次もガッチガチ。わたしとしては、異常なまでのあがりようでした。
それはなぜか。
たぶん、英語だったからじゃないかな、と思います。
英語ってなぜかプレッシャーがハンパない。
英語以外の外国語はできなくて当たり前という感覚で取り組めるからラクなんですが、英語はどうもできなきゃダメな気がして、必要以上に気負ってしまう。
どうしてかなあ? 子どもの頃から学校で習っていて、付き合いが長いからでしょうか。
それとも、序列があるからかな。
他の外国語は、やるもやらないも個人の勝手ですが、英語は中学に入れば全員習わされ、偏差値とか成績で、一つの数直線の上に全員並ばされる。
大人になってさえ、TOEICの点数で整列させられ、値踏みされる。というか、みなわざわざお金を払ってその列に並ぶのです。
この序列化がわたしはすごくイヤ。
一度その世界に足を踏み入れてしまったら、もっと上へ、もっと上へと急き立てられ、満点が取れるまで走り続けなくてはならないような気がする。
だから今までTOEICは受けないで来たのかも。
そういう序列がイヤで、だから通訳案内士の世界に逃げてきたのかもしれません。
通訳案内士は、一度受かってしまいさえすれば、上も下もない。そこがいい。
試験だって、どれが正解、不正解ということもなく、自分なりに説明できればオッケー。序列化しようもない。
でもこれとて受かる・受からないの線引きはあるわけで、この感じが気に入っているからこそ、「受け入れてもらえなかったらどうしよう」と、余計不安になるのかも。
「どうしよう」も何も、もしダメだったらまた来年受けなおせばいいだけの話なんですが、なぜか英語というと、余分なところに力が入り、おおらかになれない。
どうしてかなあ・・・。
たぶんわたしは「英語も全然できないわけじゃない」という免罪符を早くもらってラクになりたいんだと思います。
なぜだか「英語もろくに出来ないクセに、他の言語に手を出している」というのが後ろめたい。だからそこから早く脱却してラクになりたい。
それは刷り込みのようなもの。
「フランス語にハマっている」とか「アラビア語を習っている」と言うと決まって、「すごいね。わたしは英語すらできない」と言われ続けてきた。この「英語すら」がわたしには重い。
なぜ他の言語をやっているというだけで、英語はできると思われてしまうんだろう?
英語ができないと、他の言語はやっちゃいけないんだろうか?
英語の話なんて一つもしていない。なのにいつも脇からしゃしゃり出てくる。
他の外国語というのは、英語ができる人が余力で取り組むものなのか??
「そんなことはない」と意識の上では否定しつつ、そういうのを聞き続けているうちに、無意識下に刷り込まれてしまったんだと思う。だんだん後ろめたくなってきた。順番が違うんじゃないか、と。
結果、ひどい英語コンプレックスになりました。
なんか英語って気に食わない。世の中に漂う英語マンセーな雰囲気が気に入らない。
そのくせ、完全には無視できない。チラチラ横目で英語に色目を使う自分がイヤ。
昨年の春、トルコ語その他がやりたくてDMM英会話に入会して以来、なんだかちょっと割り切れて、そろそろ英語コンプレックスも消えてきたかな、と思っていましたが、今回の試験の上がりっぷりをみると、どうもまだ脱してはいないみたい。
試験がおわってなお、まだ気にしている自分がいます。
試験はとっくに終わってる。いまさら考えたって遅いのに。考えてもしょうがないことを考えるより、いまやるべきことをやったほうがいいのに。
でもついダラダラと無駄に考えてしまう。「笑顔を心がけました」などと書かれているのを読むと不安になる。自分は一体どんな表情で喋っていたんだろう、と。
通訳ガイドがお客さんに接するようなやわらかい表情で、ちゃんと試験官とやり取りしていただろうか? ・・・自信がありません。
今年の通訳案内士の試験は、いつもの検定試験の受験ととても違った感触でした。
それは、あがってしまったこと。
いつもだって試験となればそりゃ緊張はしますが、わたしは意外と本番に強く、割と普通にふるまえる。でも今回は一次も二次もガッチガチ。わたしとしては、異常なまでのあがりようでした。
それはなぜか。
たぶん、英語だったからじゃないかな、と思います。
英語ってなぜかプレッシャーがハンパない。
英語以外の外国語はできなくて当たり前という感覚で取り組めるからラクなんですが、英語はどうもできなきゃダメな気がして、必要以上に気負ってしまう。
どうしてかなあ? 子どもの頃から学校で習っていて、付き合いが長いからでしょうか。
それとも、序列があるからかな。
他の外国語は、やるもやらないも個人の勝手ですが、英語は中学に入れば全員習わされ、偏差値とか成績で、一つの数直線の上に全員並ばされる。
大人になってさえ、TOEICの点数で整列させられ、値踏みされる。というか、みなわざわざお金を払ってその列に並ぶのです。
この序列化がわたしはすごくイヤ。
一度その世界に足を踏み入れてしまったら、もっと上へ、もっと上へと急き立てられ、満点が取れるまで走り続けなくてはならないような気がする。
だから今までTOEICは受けないで来たのかも。
そういう序列がイヤで、だから通訳案内士の世界に逃げてきたのかもしれません。
通訳案内士は、一度受かってしまいさえすれば、上も下もない。そこがいい。
試験だって、どれが正解、不正解ということもなく、自分なりに説明できればオッケー。序列化しようもない。
でもこれとて受かる・受からないの線引きはあるわけで、この感じが気に入っているからこそ、「受け入れてもらえなかったらどうしよう」と、余計不安になるのかも。
「どうしよう」も何も、もしダメだったらまた来年受けなおせばいいだけの話なんですが、なぜか英語というと、余分なところに力が入り、おおらかになれない。
どうしてかなあ・・・。
たぶんわたしは「英語も全然できないわけじゃない」という免罪符を早くもらってラクになりたいんだと思います。
なぜだか「英語もろくに出来ないクセに、他の言語に手を出している」というのが後ろめたい。だからそこから早く脱却してラクになりたい。
それは刷り込みのようなもの。
「フランス語にハマっている」とか「アラビア語を習っている」と言うと決まって、「すごいね。わたしは英語すらできない」と言われ続けてきた。この「英語すら」がわたしには重い。
なぜ他の言語をやっているというだけで、英語はできると思われてしまうんだろう?
英語ができないと、他の言語はやっちゃいけないんだろうか?
英語の話なんて一つもしていない。なのにいつも脇からしゃしゃり出てくる。
他の外国語というのは、英語ができる人が余力で取り組むものなのか??
「そんなことはない」と意識の上では否定しつつ、そういうのを聞き続けているうちに、無意識下に刷り込まれてしまったんだと思う。だんだん後ろめたくなってきた。順番が違うんじゃないか、と。
結果、ひどい英語コンプレックスになりました。
なんか英語って気に食わない。世の中に漂う英語マンセーな雰囲気が気に入らない。
そのくせ、完全には無視できない。チラチラ横目で英語に色目を使う自分がイヤ。
昨年の春、トルコ語その他がやりたくてDMM英会話に入会して以来、なんだかちょっと割り切れて、そろそろ英語コンプレックスも消えてきたかな、と思っていましたが、今回の試験の上がりっぷりをみると、どうもまだ脱してはいないみたい。
試験がおわってなお、まだ気にしている自分がいます。
