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zoom RSS 「生きるための哲学」 岡田尊司

<<   作成日時 : 2017/06/27 00:00   >>

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 最近わりと精神状態が落ち着いてきています。何かに集中し、考えたくないことを考えないでいられるようになった。一時は集中することが全くできませんでしたから、これはすごい進歩です。

 おそらく「その後のツレがうつになりまして。」を読んだのが第一のきっかけになったと思います(過去記事参照)。頑張りすぎてる自分に気づいた。

 それまでは頑張っているどころか、むしろ頑張らないことに大きな罪悪感を感じていました。でもツレうつを読んだことで、「今のわたしにはこれでもtoo muchなんだ」と気づいた。これでもわたしにとっては頑張りすぎなんだと。

 だから手放せるものは一度全部手放し、できる限り気持ちの負担を減らすことにしました。それがどうもよかったようです。久々に、本当に久々に、生きてるのが楽しいと心から感じられる瞬間が得られるようになりました。



 二つ目のきっかけは、「適応障害とうつの中間くらいにいる」という友達と話したこと。彼女がそういう話をしてくれたのは、わたしが自分の状態を話したからです。

 彼女は言いました。「自分の感情がコントロールできない」と。「そう、そう、そう!!」とわたしも言いました。わたしもずっといつ暴れだすとも知れない自分の心が怖かった。まず自分が信用できない。その恐怖、心もとなさを共有できる仲間がいる心強さ。心底ホッとしました。

 また、不特定多数の人と交わるのが怖く、負担になるのは、自分の感情がコントロールできず、いつ爆発するか分からないせいだということにも気づきました。




 そして三つ目のきっかけは、「生きるための哲学」を読んだこと。

 昨年の秋に出たばかりの本です。著者は精神科医。東大の哲学科を中退し、京大の医学部に入りなおしたという経歴の持ち主です。

 裏表紙にこうあります(抜粋)。
人生の危機に直面したとき我々に必要なのは、学問としての哲学ではなく現実の苦難を生き抜くための哲学だ。言葉だけの哲学に用はない。

 7ページにはこうあります。
 正確さや整合性にこだわって沈黙することは、間違いを犯さないという点では安全策かもしれないが、現実の人生においては臆病すぎる。責任逃れにすら見える。一片の言葉に、些細な考え方に、救いと光明を見出そうとする人間の営み、それに曖昧でも答えようとする必死の努力にこそ、人間の人間たる真実があるように思う。(p7)

 これはまさしく、この本において著者が試みていることではないかと感じました。言葉の限界を知りつつ、それでも「本」という言葉しかないツールで、なんとか人を救うことができないかと模索している。なんとかして伝えよう、なんとかして伝わらないか、という著者の努力が伝わってくる。



 そして事実、わたしはこの本にずいぶん救われたと思います。

 決してハウツー本ではないこの本に。「こうすれば救われる」という方法はどこにも書いてない。

 開眼を促す啓蒙書でもない。

 理詰めで説得を促す哲学書でもなければ、心理学でもない。


 人は、その言葉によってよりも、その行動や生き方によって真実を語る。(中略) そもそも言葉の機能の一つは、ウソを吐くことだからである。(p265)

 言葉に懐疑的な著者が、自分の言葉に酔うことなく、どうしたら伝えたいことを的確に伝えられるか、言葉に吟味を重ね、考えに考えて書いたと思われる本です。

 著者の患者や知り合いのみならず、ショーペンハウアーやジョルジュ・サンド、ジャン=ジャック・ルソーなど歴史上の多くの人物を実例にあげ、彼らが自分の苦悩といかに向き合い、いかにして乗り換えたかを、ひたすら丁寧に追い、解説していきます。

 読者はその実例の中から、自分に必要なものを選択し、見つけ出していけばよい。



 「ハッとするような発想の転換」があったわけではないです。

 ただ分かりたかったこと、分かりかけていたことが、きちんと分かり、収まるべきところに収まっていくような気がしました。

この少女が生きるために編み出した、この少女なりの哲学を、もっともらしい抽象概念に置き換えようとしたとき、その哲学は命を失うだろう。「私、今、生きてるやん。今、こうして生きてるいうことは、誰かがミルクをくれて、誰かがおしめを替えてくれたってことやろ?」という、少女が発する必死の叫びの中にこそ、その命は宿っているように思える。
 これをそのまま誰かに聞かせたところで、なんの変化も生み出さないだろう。心の準備が整い、機が熟した人にだけ、それは響くものなのだ。たとえ、今は何も感じなくても、いつかそのときに、心にぴたっとくるということもある。(p246-7)
とあるとおり。

 本も良かったけれど、読んだタイミングも良かったのだと思います。




 「ツレうつ」のように1時間で読める本ではありませんでした。別に難しくはないけれど、付箋を貼りつつ、二週間以上かけて毎日少しずつ読みました。

 以下はわたしが付箋を貼った箇所です。でもきっと付箋を貼る箇所は、読者によって千差万別なのでしょうね。

自由に生きることは、その言葉ほど、気楽でも、たやすくもなければ、美しいことでもない。相手が困っていて一番助けを必要としているときであっても、自分の人生を守るために、相手を切り捨てなければならないときもあるかもしれない。(p129)
 幸福に生まれてきた人にとって、絆を大切にすることがよいことだと考えがちだが、絆こそが、その人を縛り、不幸にしていることもあるのだ。(p156)
 行きがかり上、人は自分が一旦思いこみ、口にしたことを、やり続けようとする。すでに出来上がった固定観念が、その人の選択肢を狭め、こうして生きるしかないと思いこませる。だが、それは思いこみに過ぎないのだ。(p160)

 不思議なことに、多くの哲学は、義務や責任を説くか、自分の欲望や可能性の追求を重視するか、どちらか一方に偏りがちだ。だが
(中略)
 自由も責任も両方大事だし、人が幸福に生きていくためには、その両方が必要なのである。それゆえ、目指すべきは、自由を求めて責任を放棄するか、責任に殉じて自由を諦めるかという二分法的図式ではなく、その両方をほどよく成し遂げ、どちらもほどよく手に入れるという生き方なのである。(p127-8)
 人生とは妥協の産物である。(p130)



 「引き寄せの法則」を始めとする最近のスピリチュアル系哲学も全く分からないではないのだけれど、どうもモヤモヤするのは「感謝という結論が前に来すぎる」からだったかと気づいた箇所:
 大きな試練を乗り越えて生き抜いてきた人に出会うとき、彼らに共通するのは、運命の受容と感謝の心である。あるがままの状況を受け入れ、そこに感謝の気持ちを抱くことのできる人は、出口の見えない、長く続く困難な日々にあっても、希望や意味を見出し、ささやかな喜びを支えに生き抜いていくことができる。(p305-6)
 ただし、感謝という結論が前に来すぎると、人を縛るだけの義務になってしまうこともある。良い子や善い人にありがちなことだが、強いられた感謝は、その人を不自由にし、本来の人生を奪ってしまいかねない。ときには、逆に人生を歩ませてしまうこともある。いくつもの試練を乗り越える中で、長い時間をかけて、いつしかたどり着ける境地なのだと思う。(p307)



 この本は、言葉の限界を知りつつ、「語れないものを語ろう(p312)」として書かれています。それは一つの矛盾であり、妥協かもしれません。

 でもおそらくこの本は、一つ一つの言葉、表現を、考えに考え抜いて書かれた本だと思う。そうした「一生懸命な妥協」をこの本が見せてくれたこと自体、善か悪か、白か黒かの二元論からわたしを解き放ってくれたように思います。








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