ブログ開設15周年
この4月でブログ開設15周年を迎えました。いまブログについて思うところを記します。
まがりなりにもブログを15年続けてきたわけですが、実はブログをやめるという選択肢は最初の頃から常に頭にあり、実際やめかけたことも数回あります。
それでも続けてきたのは・・・、うーむ、なんででしょうねえ? 続けるほうがデフォになっちゃってるだけかも?? 今まで続けてきたものをやめることのほうが決断が必要。だからなんとなく惰性で続けているだけなのかも、という気もします。
とくに最近、ますますブログを続ける意義が見えなくなっています。なぜかというと、ブログというツール自体が流行らなくなってきているからです。わたし自身、他の人の個人ブログを読むことが以前より減りました。
なぜ減ったかというと、面白いブログが減ったから。・・・いや、あるのかもしれないけど、目につかなくなった。おそらくこれは検索エンジンによる検索結果の画一化が原因だと思います。以前は検索ワードや検索エンジンを変えると違った検索結果が得られましたが、最近はgoogleでググってもyahooでググっても結果は大して変わらない。表示される検索結果も減り、存在していても検索結果に出てこないケースが増えました。
要は、情報の勝敗が決まってしまった。検索エンジンに認められた上位0.1パーセントの情報ばかりが目につくようになり、残りの99.9%の情報が淘汰されるようになった。だからつまらないんです。今訪れているのは、昔から読み続けているブログがほとんど。ここ数年、新しいブログを開拓することがなくなりました。
おそらくこのブログを読みに来てくれる人の数も減ているだろうな、と思います。そんな中、ブログというツールにこだわる意味があるのかっていうと、正直分からないです。
昨年インスタグラムを始めたのも、ブログに代るものを探していたというのが理由の一つでした。まあ半年くらいで「これはブログの代わりにはならない」と気づき、ブログに戻ってきたわけですが。
やっぱりインスタは基本的に画像を見せる場なんですね。文章には向かない。まあコメント見てると、意外とみんな真面目に読んでくれてるようですが、わたし自身インスタで長い文章は読みたくないので、自分の投稿も短く・・・と思うと、どこを切ろうか考えるだけで疲れちゃう^^;
Instagramが向かないなら、じゃあtwitterはどうだ、podcastは、facebookは・・・などと考えましたが、どれもいまいち。やっぱり今のところ、何かを発信する場としてブログが一番しっくりくるのは確かです。
・・・ま、自分の中にそこまで発信したい何か、もしくは発信すべき情報がそもそもあるのかというと、これも正直よくわからないんですが(笑)。
そもそもブログを書く第一の理由はブログのタイトル通り自分のためのメモ、覚え書きです。実際その機能は充分果たしています。ノート以上にわたしは自分のブログを読み返しますし、ブログに書いておいて助かったと思うこともしょっちゅうです。
第二に書くことで整理される効果があります。特に、ネガティブなことを断定的に書いたあとで「ん? 本当にそうだろうか?」と思い、もう一度チャレンジした結果、活路を見出すことがよくある。自分が書いたものを読むことで客観的になり、自分の思い込みを疑うチャンスが生まれるのだと思います。
たとえば先日、Frog and Toadについて書いたときも
と書いたあと、「ん? 本当に難しいだろうか」と思い、もう一度探しなおしたらロシア語版のPDFを見つけました^^。
以上二点の理由から、だからわたしにとって書くことが絶対必要なのは分かっているのですが、ただそれを人様にまで見せる必要があるかっていうと、そこはものすごく謎です。第三の理由として、もしかしたら誰かの役にも立つかもしれないと思ってブログ発信を正当化してきましたが、実際どの程度人の役に立っているのかは分からないし、そもそも自分に何が書けるのかも分からない。
成功者であれば「この情報は世間の役に立つはず! みんな、わたしに続け~!」みたいに自信を持って発信できるのかもしれませんが、検定試験に受かるくらいのことはあっても、自分自身が永遠の発展途上者ですからねえ・・・。
・・・あっ、でも今ここまで書いて気づいた。
発展途上だからこそ書けることがあるんじゃないか、って。
たとえば「そんなにどえらい語学力じゃなくたって、ちょっとできるだけでもけっこう得することはいっぱいあるんだよ」ってことはわたしにも書ける。いや、むしろうってつけ。
たとえば今、DMM英会話の話題はほぼコロナウィルス一色です。回線が繋がった途端、どちらからともなく「そっちはどう?」って話になる。で、例えばロックダウンの状況は、スーパーから消えているものは、などと情報交換するわけです。驚いたことに、日本だけでなく、他の国でもロールペーパーが一時店頭から消えたんだね。同時発生したというよりは日本が震源のようですが。とまれ「英会話レッスン」の名のもとに、いま世界はどんな感じなのか、それぞれの国の住民から直接聞きだすことができるのは大きいです。外国語習っててよかったーって感じ^^。
あと、相変わらずAli expressにハマっているんですが、「Ali Expressで外国語」にも書いたとおり、様々な言語で書き込まれたレビューが読めるのはすごいアドバンテージだと感じています。服を一つ買うにしても「写真よりも色が濃い」「サイズは表示より小さめ」「不具合があったけれど、返金してもらえた」などの情報が本当にありがたい。特にロシア語圏の購買者が多いようで、レビューの半数はロシア語。ロシア語やっててよかったーって感じです。
最近はyoutubeの動画やfacebookのフォーラムでも趣味に関する情報を拾っています。日本ではまだあまり流行っていない分野なので、日本語では拾えない情報が拾え、助かっています。
要は、外国語がちょっとでもできるとキャッチできる情報の量が破格に増える。まあ海外通販の買い物レビューを読むためにロシア語を学ぼうという人はあんまりいないかもしれませんが、同胞がまだ知らないことを一足先に知ることができるのは、活かしようによっては莫大な利益を生む可能性だってある。まーわたしはそこまでやらんけど^ ^;
語学っていうと、とかく「極めなくては意味がない」くらいの勢いで語られがち。それゆえ成果を刈り取るまでにものすごーく時間がかかるイメージ。5年とか10年とか。でも実際は意外と早くモトが取れる。その事実は、極めていない者だからこそリアルに伝えられるのではないか。
「喉元過ぎれば熱さ忘れる」とよく言いますが、これは本当で、人間は一度出来てしまうと、出来なかったときの感覚を忘れてしまいます。「事実」としては記憶していても、「感覚」が欠落してしまうのです。でもわたしは喉元通過中の、この今の熱さこそ伝えたいといつも思う。
わたしの弱みは何より「結末を知らない」ことです。今自分がしていることがどこに繋がるのか分からないし、どこに自分のゴールがあるのかも分からない。増してゴールまでの距離など分かるわけもない。
だから断定的なことは言えない。今持っているパズルのピースがどこにはまるのか、或いはどこにも当てはまらないのかも分からないのだから。
どれか一言語でも極めていればある程度見通しがたつのでしょうが、わたしは常に道半ばなので、何を書くにも「今のところ」の前置きつき。たとえば何か良い方法を見つけたとして、それを試して効果が出れば「こんな効果があった」とは書けるけど、でもそれも「今のところ」限定です。この先ひょっとしたらより戻しがあるかもしれないし、もっと効果的な方法が見つかるかもしれない。
実際、昔のブログを読み返してみると「あー、当時はこれがベストと思ってたんだな」と懐かしく思ったりします(笑)。「これがベスト」と思っても、その「ベスト」が更新される頻度はけっこう早い。「ついに学習法を確立した!」と思っても、一時の気の迷い。すぐに別のを思いつく(笑)。
それを知っているから、将来の自分は油断がならないと思う。きっと今の自分を良くも悪くも裏切っていくのでありましょう。
・・・ああ、でもだからこそ、逆に「今のところ」を今書いておくべきなのか。将来読み返して「このときはこんなことを考えていたのか」と思い出すために。
あー、書きながら考え、行き当たりバッタリに書いているから、まとまりのない文章になっちゃったよ。って、いつものことだけど^^;
まあでもこれがブログってものなんでしょうね~。

先週の雪と桜。
ブログはもう流行らない?
まがりなりにもブログを15年続けてきたわけですが、実はブログをやめるという選択肢は最初の頃から常に頭にあり、実際やめかけたことも数回あります。
それでも続けてきたのは・・・、うーむ、なんででしょうねえ? 続けるほうがデフォになっちゃってるだけかも?? 今まで続けてきたものをやめることのほうが決断が必要。だからなんとなく惰性で続けているだけなのかも、という気もします。
とくに最近、ますますブログを続ける意義が見えなくなっています。なぜかというと、ブログというツール自体が流行らなくなってきているからです。わたし自身、他の人の個人ブログを読むことが以前より減りました。
なぜ減ったかというと、面白いブログが減ったから。・・・いや、あるのかもしれないけど、目につかなくなった。おそらくこれは検索エンジンによる検索結果の画一化が原因だと思います。以前は検索ワードや検索エンジンを変えると違った検索結果が得られましたが、最近はgoogleでググってもyahooでググっても結果は大して変わらない。表示される検索結果も減り、存在していても検索結果に出てこないケースが増えました。
要は、情報の勝敗が決まってしまった。検索エンジンに認められた上位0.1パーセントの情報ばかりが目につくようになり、残りの99.9%の情報が淘汰されるようになった。だからつまらないんです。今訪れているのは、昔から読み続けているブログがほとんど。ここ数年、新しいブログを開拓することがなくなりました。
おそらくこのブログを読みに来てくれる人の数も減ているだろうな、と思います。そんな中、ブログというツールにこだわる意味があるのかっていうと、正直分からないです。
昨年インスタグラムを始めたのも、ブログに代るものを探していたというのが理由の一つでした。まあ半年くらいで「これはブログの代わりにはならない」と気づき、ブログに戻ってきたわけですが。
やっぱりインスタは基本的に画像を見せる場なんですね。文章には向かない。まあコメント見てると、意外とみんな真面目に読んでくれてるようですが、わたし自身インスタで長い文章は読みたくないので、自分の投稿も短く・・・と思うと、どこを切ろうか考えるだけで疲れちゃう^^;
Instagramが向かないなら、じゃあtwitterはどうだ、podcastは、facebookは・・・などと考えましたが、どれもいまいち。やっぱり今のところ、何かを発信する場としてブログが一番しっくりくるのは確かです。
・・・ま、自分の中にそこまで発信したい何か、もしくは発信すべき情報がそもそもあるのかというと、これも正直よくわからないんですが(笑)。
ブログを書く理由
そもそもブログを書く第一の理由はブログのタイトル通り自分のためのメモ、覚え書きです。実際その機能は充分果たしています。ノート以上にわたしは自分のブログを読み返しますし、ブログに書いておいて助かったと思うこともしょっちゅうです。
第二に書くことで整理される効果があります。特に、ネガティブなことを断定的に書いたあとで「ん? 本当にそうだろうか?」と思い、もう一度チャレンジした結果、活路を見出すことがよくある。自分が書いたものを読むことで客観的になり、自分の思い込みを疑うチャンスが生まれるのだと思います。
たとえば先日、Frog and Toadについて書いたときも
アラビア語、ロシア語、トルコ語にも翻訳されているようですが、ちょっと入手は難しい、もしくは値段が高すぎる。
(フランス語版がまくんとかえるくんコンプリート)
と書いたあと、「ん? 本当に難しいだろうか」と思い、もう一度探しなおしたらロシア語版のPDFを見つけました^^。
以上二点の理由から、だからわたしにとって書くことが絶対必要なのは分かっているのですが、ただそれを人様にまで見せる必要があるかっていうと、そこはものすごく謎です。第三の理由として、もしかしたら誰かの役にも立つかもしれないと思ってブログ発信を正当化してきましたが、実際どの程度人の役に立っているのかは分からないし、そもそも自分に何が書けるのかも分からない。
成功者であれば「この情報は世間の役に立つはず! みんな、わたしに続け~!」みたいに自信を持って発信できるのかもしれませんが、検定試験に受かるくらいのことはあっても、自分自身が永遠の発展途上者ですからねえ・・・。
・・・あっ、でも今ここまで書いて気づいた。
発展途上だからこそ書けることがあるんじゃないか、って。
中途半端だからこそ書けること
たとえば「そんなにどえらい語学力じゃなくたって、ちょっとできるだけでもけっこう得することはいっぱいあるんだよ」ってことはわたしにも書ける。いや、むしろうってつけ。
たとえば今、DMM英会話の話題はほぼコロナウィルス一色です。回線が繋がった途端、どちらからともなく「そっちはどう?」って話になる。で、例えばロックダウンの状況は、スーパーから消えているものは、などと情報交換するわけです。驚いたことに、日本だけでなく、他の国でもロールペーパーが一時店頭から消えたんだね。同時発生したというよりは日本が震源のようですが。とまれ「英会話レッスン」の名のもとに、いま世界はどんな感じなのか、それぞれの国の住民から直接聞きだすことができるのは大きいです。外国語習っててよかったーって感じ^^。
あと、相変わらずAli expressにハマっているんですが、「Ali Expressで外国語」にも書いたとおり、様々な言語で書き込まれたレビューが読めるのはすごいアドバンテージだと感じています。服を一つ買うにしても「写真よりも色が濃い」「サイズは表示より小さめ」「不具合があったけれど、返金してもらえた」などの情報が本当にありがたい。特にロシア語圏の購買者が多いようで、レビューの半数はロシア語。ロシア語やっててよかったーって感じです。
最近はyoutubeの動画やfacebookのフォーラムでも趣味に関する情報を拾っています。日本ではまだあまり流行っていない分野なので、日本語では拾えない情報が拾え、助かっています。
要は、外国語がちょっとでもできるとキャッチできる情報の量が破格に増える。まあ海外通販の買い物レビューを読むためにロシア語を学ぼうという人はあんまりいないかもしれませんが、同胞がまだ知らないことを一足先に知ることができるのは、活かしようによっては莫大な利益を生む可能性だってある。まーわたしはそこまでやらんけど^ ^;
語学っていうと、とかく「極めなくては意味がない」くらいの勢いで語られがち。それゆえ成果を刈り取るまでにものすごーく時間がかかるイメージ。5年とか10年とか。でも実際は意外と早くモトが取れる。その事実は、極めていない者だからこそリアルに伝えられるのではないか。
「喉元過ぎれば熱さ忘れる」とよく言いますが、これは本当で、人間は一度出来てしまうと、出来なかったときの感覚を忘れてしまいます。「事実」としては記憶していても、「感覚」が欠落してしまうのです。でもわたしは喉元通過中の、この今の熱さこそ伝えたいといつも思う。
中途半端だから書けないこと
わたしの弱みは何より「結末を知らない」ことです。今自分がしていることがどこに繋がるのか分からないし、どこに自分のゴールがあるのかも分からない。増してゴールまでの距離など分かるわけもない。
だから断定的なことは言えない。今持っているパズルのピースがどこにはまるのか、或いはどこにも当てはまらないのかも分からないのだから。
どれか一言語でも極めていればある程度見通しがたつのでしょうが、わたしは常に道半ばなので、何を書くにも「今のところ」の前置きつき。たとえば何か良い方法を見つけたとして、それを試して効果が出れば「こんな効果があった」とは書けるけど、でもそれも「今のところ」限定です。この先ひょっとしたらより戻しがあるかもしれないし、もっと効果的な方法が見つかるかもしれない。
実際、昔のブログを読み返してみると「あー、当時はこれがベストと思ってたんだな」と懐かしく思ったりします(笑)。「これがベスト」と思っても、その「ベスト」が更新される頻度はけっこう早い。「ついに学習法を確立した!」と思っても、一時の気の迷い。すぐに別のを思いつく(笑)。
それを知っているから、将来の自分は油断がならないと思う。きっと今の自分を良くも悪くも裏切っていくのでありましょう。
・・・ああ、でもだからこそ、逆に「今のところ」を今書いておくべきなのか。将来読み返して「このときはこんなことを考えていたのか」と思い出すために。
あー、書きながら考え、行き当たりバッタリに書いているから、まとまりのない文章になっちゃったよ。って、いつものことだけど^^;
まあでもこれがブログってものなんでしょうね~。

先週の雪と桜。